予測は不可能!

2020/06/16
農研機構中央農業研究センター
中園 江

子育てと研究の両立について,ということでこの寄稿文を書くお話をいただきました.私の場合両立というよりは“両方やっている”だけなので気が引けつつ,これまでの皆さんの記事を読んでみました.お子さんがまだ小さい方々の子育て最中のご奮闘ぶり,懐かしく,またキラキラしていてうらやましくもあります.我が家の子供たちは現在19歳と16歳で,手がかからない年齢になりましたので臨場感は薄れますが,何かの参考になれば幸いです.

1994年に入省後,2000年に長男を出産し,約1年間の育児休暇をとりました.休暇中には,同じく農学研究者(大学勤務)の夫の留学に子供と同行し,5か月ほどアメリカに滞在しました.2003年には長女を出産し,約5か月後に復職しました.

私もそうでしたが,特に圃場での栽培試験をしている場合は,育休をどれくらいとるか,どのタイミングで復職するかで悩まれる方も多いと思います.私の場合,長男出産時は水稲,長女出産時は小麦の試験をしており,できるだけデータをとれるように,試験に穴をあけないようにとあれこれあがき,サポート部門を含めた職場の方々や家族など多方面に迷惑をかけてしまいました.振り返れば,圃場での作付けができなくとも,これまでのデータの検証や部分的な実験など,研究を進める方法はたくさんあったのにと思います.

また,特に子供が小さいうちは,突発的な病気やけがなどで職場に行けなかったり,作業を中断して帰らざるをえなかったり,そうこうしているうちに作物は育ち…思うように仕事を進めることができず呆然とすることも多いと思います.職場の環境,研究内容,配偶者の職業や実家の遠近など事情は様々で変動も大きく,そこにどんどんステージの変わる子供という要素が加わりますので,先に何が起こるかわかりません.ある程度の計画は必要ですが,その時の状況に応じて最適を目指すしかないのです.自分の職場でいえば,看護休暇制度の拡充,代替職員,裁量労働制,保育所の設置等,ワーク・ライフ・バランスを支援する制度が増えてきています.また子育てや家事に奮闘する男性も増え,いろいろな面で以前よりも育児と研究を両立する環境が整ってきていると感じています.将来の消費者を育てるのも農業への貢献!と開き直って(だめかな?),焦らず,臨機応変に頼れるものは頼ることが必要です.

植物など生き物相手の仕事は待ったなしです.子供が小さいうちは,休みの日は圃場や温室に連れて行って,近くで遊ばせながら仕事をしました.夫と子供たちが用水路で魚取りをしている間に圃場の調査をしたことも良い思い出の一つです.二人とも農学は選択しなさそうですが,生き物に興味を持っており,これらの思い出や経験が何らかの糧になってくれればと願っています.小さいときは雑草取りや水やり,大きくなった今では(お小遣いに釣られてですが)調査の記録や,サンプリングの手伝いをしてくれることがあります.「農業は年齢や障害の有無にかかわらず誰もが参加できる数少ない産業である」と大学の講義で学んだことが心に残っています.もしかしたら農業の研究も同じかもしれませんね.

折角の機会なんだから研究ばっかりしてちゃもったいない

2020/02/10
秋田県立大学生物資源科学部
小川敦史

若手・男女共同参画ワーキンググループの岩手大学の松波先生から「子育て中の男性の先生の寄稿文がないから書いてよ」って頼まれました.たしかに作物学会だけでなく,大学や研究所などの研究者には明らかに男性比率が多くて(日本作物学会における男女比率調査結果),ってことはそれなりに子育て世代の男性会員も結構いらっしゃると思います(男性作物学会員は未婚のかたが多いとか,ましてや女性にもてないとかいう話は聞きたことがありません).でも作物学会だけでなく私の所属する大学でも女性の子育てっていう話は支援も含めてよく聞くのですが,男性の話はあまり聞きません.偶然にも私には,今度の4月に小学校に入学する6才の娘がいます.そこで折角の機会を頂きましたので,私個人の子育てへの考えと作物学会へのちょっとした提案を書きたいと思います.

最近世間では「イクメン(育メン)」って言葉が一般的になりつつあり,2009年,男性も子育てしやすい社会の実現に向けて育児・介護休業法が改正されました.その一環で厚生労働省が「イクメンプロジェクト」というサイトを開設したりもしています.という風に,昔と違って男性が子育てに関わっていく機運は高まっています.でもやっぱり子供がまず好きなのはお父さんではなくてお母さんなんですね.これはしょうがない.だって生まれてくるまでの十月十日(とつきとおか)おなかの中でぬくぬくさせてもらい,生まれてきてからもご飯くれるんですから,お父さんに勝ち目はありません.そんなわけで子育てに「男女共同参画」なんて言って,「じゃあ子育てに直接関わることを半分やる」なんてことは絶対無理です.もちろん「間接的な子育て」は十分できますが,感覚的にはお父さんが直接的にやれることはどう頑張ってもお母さんの30%位でないでないでしょうか.

といいつつ,人生のなかで子供の人生に関われる経験なんて,本当に短い期間しかできません.しかも上に書いたように男性はさらにその機会が少なくなっています.短い人生の中でせっかく得られた子育てするという機会を,「仕事がある」とか言って逃してしまうのはとってももったいないと思います.「育児と研究との両立」なんてかっこいいこと言いますが,どちらも100%でやることは無理です.効率的にすることはできますが,時間も能力も限られているので,二刀流ではなく合わせて一流になればいいと思います(まあ,それも難しいですが).

「アインシュタインがいなくてもきっといつか後世に誰かが相対性理論を見つけていたが,アインシュタインの両親がいなかったらアインシュタインは育たなかった」
この例えが適当かどうかは分かりませんが,私としては「研究するのは子供が大きくなってもできるので,今は今しかできない子供と接する機会優先」と考えて,子供と接することをめっちゃ楽しみながら大学での仕事とか研究をしています.

ところで,お父さんやお母さんの仕事をしているところを子供が見るって結構大切だと私は思うんです.私の父は以前ある研究所で勤めていて母は病院で検査をする仕事で,時々遊びに行っていました.今思い返すといろんな測定機器などもありました.私も娘を時々大学の研究室に連れて行ったりしています(今は学生さんと娘が遊んでいるだけですが).

そこで,こんな私から作物学会への提案です.現在1年に2回作物学会の講演会が各地で開催されています.お子さんのために託児所がある講演会もありますが,臨時の託児所ではあんまり子供は楽しくありません(託児所は預かっているだけなので).また子供が小学生くらいに大きくなると,もう託児所には行きません.講演会は全国各地で開催され,作物の専門家が集まって,親の良いところを見せるチャンスなので,この様にしてみてはどうでしょう.

・春の講演会は学校の春休み中に(これは大体行われています),秋の講演会は学校の夏休み中に開催してはどうでしょう.こうすることで子供を連れてくることができ,家族旅行も兼ねて全国各地に行けます(普段出張だと言って一人で全国各地に行っているお父さんの株もアップするかもしれません).

・せっかく日本の作物の専門家が一同に集う講演会です.そこで講演会と同時に子供向けの体験講座を開いてみてはどうでしょう.田んぼに入るような機会でもいいですし,夏休みの自由研究ができるような機会になってもいいかもしれません.

・講演会での発表は研究者であるお父さんやお母さんの普段見れない格好いい姿を子供に見せることのできる絶好の機会です.そこで口頭発表の壇上に子供席(またはファミリー席)を設置して間近で見てもらってはどうでしょう.ちょっと尊敬度アップするかもしれません.
こんな事やってみると,もしかしたら将来の作物学会委員が子供たちの中から生まれるかもしれませんね.

 といいつつ,娘もだんだん大きくなり,いつかは「あっち行って!!(これは既に時々言われる…)」とか「お父さんの洗濯物と分けて!!」とか言われる日が来るかもしれません.それはそれで子供の成長です.その時にはまたその時なりの,自分の楽しめる子供との関わりを持っていきたいと考えています.

娘と

追伸
これを読んでいる女性作物学会員の皆様へ
娘から声をかけられて嬉しくない世の中のお父さんはいないと私は思います.もし可能であれば,今日の夜にでも電話でもメールでもLINEでもいいですので,お話してみてください.

私と作物学研究と子育て

2020/01/22
名古屋大学農学国際教育研究センター
仲田(狩野) 麻奈 Mana Kano-Nakata

学位を取得して8年経って,昨年4月にようやくテニュアの教員として職を得ることができました.私の場合,結婚→出産・育児(現在進行中)→学位取得→就職という順番ですが,学位を取得した際には,指導教員であった山内章先生に,仲田さんはトリプルディグリーだよ(Degree of PhD,Degree of Wife,Degree of Mother)と,祝福していただいたことを今でも覚えています.現在は,3人の子供たち(10歳,8歳,5歳)と,主人の5人暮らしです.

これまでの私の研究生活を振り返ると,家庭中心となっていて,長男の出産(当時博士課程3年)を機に研究に費やす時間は大幅に減少しました.研究ができなくなって周りに置いていかれるのが怖くて,育児休暇はあまりとらずに大学に復帰し,とくに3人目の出産時には,出産2日後に任期付教員の面接試験に臨み,とにかく職を得るのに必死でした.今思えば,しっかり休んで,落ち着いてから研究活動を再開しても良かったのではないかと思います.寝不足でヘトヘトな状態で実験しても良い結果は出ません(苦笑).
教員になってからは,研究+教育+運営と,学生の指導だったり,学会関連のことだったり,ポスドク時代にはなかった業務が加わりました.その結果,ライフワークバランスを整えるのはより難しくなり,今も試行錯誤している段階です.もともと要領よく物事を進められるタイプではなく,毎日目の前のことを片付けるのに精一杯なのに,そこに子供たちの病気や怪我が舞い込んできて,締め切りの原稿や解析すべきサンプルは溜まっていく一方です.それでも,興味深いデータが得られたり,論文が受理されたり,研究費が採択されたり,自分の研究成果が認められた時,研究を続けたい,もっと先に進みたいという気持ちが湧き立ちます.そして夜,子供達の寝顔を見る度に,よし明日もがんばろうと勇気付けられるのです.
最近,自分のライフワークバランスについて話す機会が増えてきて,『研究と子育てを両立させるコツはなんですか?』という質問をよく受けます.内心,私の方こそ是非教えて欲しいと思うのですが,私の場合,やはり家族と研究室のメンバーの理解と協力が得られることが何よりも大きいと感じます.私は,幸いにも母校に就職できたので,学生時代からずっと実家のある愛知県内に家族と一緒に暮らせて,かつ気心の知れた研究室のメンバーと一緒に仕事ができ,たくさんの方のサポートのおかげで今の私があります.子供を連れて出勤した時には,学生やスタッフの皆さんが面倒を見てくれ,研究と子育てを一緒にできることを心から感謝しています.また,名古屋大学農学部のママさん教員で集まって,時々ランチ会を開催し,ワークライフバランスに関する情報交換を行うことで,生活のヒントを得ることができます.作物学会内でも,このリレー寄稿文に投稿されている松波麻耶先生をはじめとして,同世代の女性研究者の活躍は,とてもいい刺激になりますし,モチベーションアップに繋がります.

私はイネ科作物の根の形態と生理機能に関する研究に取り組んできましたが,作物学研究に従事するようになって,ラボでの実験だけでは説明できない現象がフィールドにはあると,フィールド研究も重視してきました.自身の研究の中で,フィリピンでイネの圃場試験を実施することがありますが,当然試験期間中ずっとフィリピンにいることはできません.共同研究先のメンバーの多大な協力と連携のおかげで実施することができます.また家族の温かいサポートもあって出張に行くことができ,現地でのデータ収集,サンプリングができています.効率良く成果を出さないといけない子育て世代にとって,時間も労力も使うフィールド研究は不向きかもしれないと思うこともありました.それでも,今もフィールド研究を続けられるのは,たくさんの人に支えられて,チーム一丸となって取り組めるからこそで,大変有り難く思います.

最後に,私が研究者になりたいと思ったのは,小さい頃に読んだキューリー夫人の本がきっかけでした.日々様々な葛藤はありますが,5年後,10年後の自分を思い描きながら,将来社会に貢献できるような研究成果を出せるように,夢を忘れずに少しずつでも前に進んで行きたいと思います.ロールモデルというと,バリバリ研究して,立派に子供も育て,スーパーウーマンのような女性を思い浮かべるかもしれません.けれども私は,あきらめない!でも無理はしすぎない!をモットーに,私らしい身近なロールモデルを目指していけたらと思います.
この寄稿文を読んで,女性研究者を目指す皆さんをエンカレッジすることができ,また男女共同参画の活性化に少しでも繋がることを願っています.

水やりの手伝いついでにイネの観察をする子供達
究極の植物研究としての作物学までの道

2019/05/27
九州大学名誉教授
井上 眞理 Mari Iwaya-Inoue

教養部では,耐寒性の研究材料の採集に信州の雪山へ出かけ,また基礎研究で芽生えを使い,園芸学では花や果実の研究を経て作物学にたどり着き,植物のライフサイクルを追うように仕事ができたことに感謝している.これまで寄稿された若い二人の女性研究者と比べ作物学への道程は遠く,長い話になることをお許しいただきたい.

1970年に,熊本県立第一高校(当時は完全に「女子高」状態)から,農学部を選んだのは私だけだった.九州大学農学部に入学したが,女子率10%,農学科では5%とレアな存在だった.学園紛争の余波で全学での卒業式はなかったものの,農学科代表として証書を受け取った.単に,旧姓が名簿の最初だっただけだが,背後のざわめきから他の学科は違ったらしい.園芸学教室から,運よく教養部へ生物学教室の教務員として採用され,手動のタイプライターの練習から始まり,3年後に助手になった.教養部(College of General Education) は名の通り,自然科学,社会科学,語学,体育などの様々な教育が必要で,また大講座制ゆえか,女性の教官は各研究室にそれぞれいた.尊敬すべき先輩達との「勝手に美女会」は今でも綿々と続いている.

生物学教室の12名の教官は,教授・助教授・助手が4名ずつで専門は多岐にわたっていた.教養部のため卒論生や院生はいず,授業のエフォートは5割以上であった.私は賀来章輔教授とともに植物の低温ストレスに関する研究を始め,「教養部であっても1年に1報でも良い論文を書き続けることが大事だ.世界中の人に読んでもらえなくてどうする.生きた証を書け.」と言われた.その後の20年近くの環境がそれからの私を作ってくれたと思う.その間,幸いにも子供に恵まれたが,産休明け早々の保育園で息子が重い病に罹り,結果的には実家に同居という形態で母にすっかり甘えることとなった.二人目がおなかにいる時に論文博士を取得したが,家族の協力あってこそだった.息子が7歳,娘が4歳になるまで子育てを応援してくれた母は癌で亡くなり,38歳からが本当の正念場となり数年後に助教授になった.講義やゼミの準備が間に合わず,息子が釣りをする横で,論文を必死で読んだ.熊本や東京の学会では,高校時代の友人や妹に娘を託して参加した.子どもたちの世話で研究も遅れがちなこともあったが,落ち込んだ時には心の安寧を与えてくれた.

教養部制度廃止後は,農学部の助教授として園芸学に所属したが,全学教育の担当も多く,主な居室は変わらず元教養部の六本松キャンパスにあり,論文を指導した学生と院生は8年間で5名だった.その頃,作物の助教授として声をかけてくれた福山正隆教授は,「園芸学ではなく,新しい作物学に取組めるか?」が採用の条件であった.私は49歳で作物学へ異動となった.トレハロースによる花弁の鮮度保持の研究を究めることはできなかったが,水分生理学の研究を続けることができた.福山先生は,折に触れ草地学やムギ類の穂発芽などの課題を話してくれた.せっかくの好機をいただき,作物研究にスパートを切り,大学が法人化の年に承認された.その後,湯淺高志准教授(現宮崎大学教授)も加わり,学生も増え研究室が落ち着いた頃,父が庭で倒れた.ちょうど福岡に居を移していた妹に,日中の介護は任せることができた.それから10か月後の金曜の昼間,集中講義の日程を何度も病床で確かめた父に,「来週の今頃戻るからね」と答えた.思いもよらず父はその夕に息を引き取り,福岡国際マラソンの開催された日曜に葬儀を終え,月曜の朝,愛媛大学の教壇に立っていた.全ての講義が終わり,教室の窓から見た山に架かるダブルレインボーは,両親からのメッセージのような気がした.私は58歳になっていた.

20代から携わっていた教養部教職員組合の月間ニュース編集長,婦人部長等は,重荷ではあったが,学内保育園づくり等を通して他分野や事務系の友人も増えた.その延長線上の全学では男女共同参画推進に携わり,英語の発表や司会で緊張もしたが,時間のやりくりの中での達成感は,「声をかけられれば引き受けたほうが良い」ことを教えてくれた.現役の最後の目標として「配偶者帯同雇用制度」に取り組んだ.私もそうであったが,別居で仕事をしている女性教員は多く,この提案は教育研究と家庭の両立を支援のため,正規教員のW雇用であり,国内外でも画期的な九州大学の制度である.福岡の地での可能性も探り,近郊の大学へも行脚した.定年退職後,制度適用の第一号は農学研究院のカップルであることを知った.並行して,定年退職の前後に携わったSpringerの本の監修と章の執筆作業は,PPSの編集長とはまた違った苦労を経て完成した.たとえ小さな学会であっても大会開催はたいへんな作業であったが,それが契機となったものである.植物研究では,賀来先生と福山先生に巡り会えたことが私の始点と終点の始まりであり,採用いただいた約束を少しは果たせたかと思う.農学部の道まではまっしぐらだったが,ほんの少し前の時代,女性が働き続けることが当たり前だと思う上司はそういなかった.人生における岐路を2択としても100万通りは優に超しただろう.何よりも,呆れながらも高知からずっと子ども達を見守ってくれた稀有な夫の存在と義父母の理解がなければ仕事は続くはずもなかった.

想えば10年ごとに転機が訪れた.学生達には,各作物の研究チームとして,それぞれ気温や活動について3行ずつの10年日記を付けるよう習慣づけた.卒業生への寄せ書きに,「愛情と根情」と書き指摘された.「根も情が大事」が通じなかったようで,爾来, Endurance, Resilience, Pain is ‘grain’, Serenity, Empressement, Conquer yourself… をその年々の贈る言葉とした.定年退職の最終講義と手作りの祝賀会は,キャンパス内のホールや講堂で旧交を温めたっぷりと贅沢な時を過ごすことができた.最後の思い出を作ってくれた石橋勇志准教授らにたいへん感謝している.そして,2018年秋,九州大学箱崎キャンパスは100余年の幕を閉じ,農学部は西の伊都キャンパスにて開校した.

こうしてやっと作物学まで辿り着いたが,実を言えば草本植物よりも木本植物が好きだ.庭のミモザやモミジの木洩れ陽,プラムやユズの実,東北大の学会記念のトチノキの葉,箱崎の思い出に拾ったナンキンハゼも往生するほど伸びた.作物らしさと言えば,同じ条件で調理するクロマメとフクユタカの食感の違いや,玄米+糯米の美味しい炊き方の開発等,私の研究室は台所にシフトした.

  作物学で扱う多くの植物研究では,計画・実験・発表・執筆の前に,耕起に始まり播種・栽培・収穫まで長いスパンの仕事でリスクも大きい.私もそうであったように,将来への得体の知れない不安で,深い闇に引きずり込まれるような気持ちになる時もあるでしょう.その時こそ,初志を忘れず信頼関係を大事にし,知己や家族に癒されたあとは,少し高めの目標を掲げながらステップアップしていただきたい.山に登るとまた違う世界が見えてくるから.

関連URL等

卒業アルバム(2002年)九州大学農学部作物学研究室HPより
福山教授、古屋講師、鄭助手、学生らと農学部1号館前にて
(上段左から5番目が筆者)

母として、研究者として-ポスドク時期の子育てと研究生活を振り返って-

2017/07/10
日本学術振興会特別研究員 RPD
(農研機構東北農業研究センター)
松波 麻耶

研究者を目指している女子学生の皆さんのなかには,キャリアパスの中で出産・子育てというものに漠然とした不安を抱えている人もいるのではないだろうか.研究キャリアのスタートで多くの人が経験するポスドクの期間は,女性としては出産適齢期をすでに迎えた時期でもあるが,正規雇用者に比べてポスドクが出産・育児に際して利用できる制度は少なく,離職せざるをえない場合もある.でも,もし新しい命を授かったなら,それは自分の人生をより輝かしいものにするチャンスかもしれない.少なくとも私は,ポスドクとして研究と子育てに奮闘してきた毎日を振り返ると,母親になる前にはなかった価値観の芽生えや素晴らしい人たちとの出会い,そして多くの支えに対する感謝の気持ちを通じて,自分の人生がもっと豊かになり,そして研究への情熱がもっと確かなものになったと感じている.そんな私のこれまでの研究生活の一部をこのコラムとして綴ったので,未来の女性研究者の皆さんの参考のひとつにでもなれば嬉しい.

私が博士号を取得したのは2011年3月.母校の東北大学は震災後の混乱の中,卒業式こそ行えなかったが,後日,学位記を一人ひとりに贈って下さった.私の博士課程は2008年の4月,長女の誕生と共に始まった.慣れない子育てとコースドクターを両立できるのだろうかと初めは心配もあったが,周囲の協力もあり,無事,学位記を手にすることができた.あれから6年が経ち,長女は小学3年生になった. 2年前には次女に恵まれ,同じく作物学研究者の夫と家族4人,あわただしくも充実した日々を過ごしている.

卒業後はずっとポスドクとして研究を続けている.ポスドクは研究に専念できる貴重な時間であるが,雇用に安定性がない.私もこの6年間で無給ポスドクからJSPS特別研究員と色々なポスドクを経験してきた.振り返ると,毎日がとても楽しく,色々な経験や人との出会いの一つ一つは全て今の糧になっている.ただ,一つだけ苦労したのは,保育園に子供を預ける資格を維持しつづけることである.無給ポスドクのときは役所に行って「(保育園に預けて)研究を続けないと次(就職)に繋がらないんです!」と直談判したり,とにかく形振り構わずであった.でも,“形振り構わず追い求められるもの”を持っている,それはとても幸せなことではないかと思う.

子育てしていることで舞い降りたチャンスもあった.それは,日本学術振興会の特別研究員RPDである.この制度の私にとっての最大の利点は,研究拠点(受入研究機関)を自分で決められることだ.この制度のおかげで,家族同居を維持しながら,しかも主体的に研究を行うことが出来た.また,特別研究員は産前・産後に研究を中断することが認められているので,第二子の出産では離職することなく育児にも専念できた.RPDの面接会場で,周りの候補者が皆,私と同じく子育てに奮闘しながら研究を続けているんだ,と思うと少し勇気付けられたことを今でも覚えている.ちなみに平成30年度採用のRPDからは,育児への負担を考慮して面接はなくなる.様々なニーズに応えて制度も年々改善されているようだ.

このように研究職においても,ライフイベントを考慮した様々な制度が年々充実しつつあるが,一番大切なのは周囲の理解や協力であることは間違いない.これまで,東北大学,秋田県農業試験場,秋田県立大学,東北農業研究センターの諸氏には最大限の協力をしていただいた.特に指導教員の國分牧衛先生は,大学を離れ,秋田で子育てをしながら研究を続ける私が何不自由なく博士課程を送れるよう全面的にサポートして下さった.妊娠・出産を我がことのように喜んで下さる方も沢山いた.妊娠しても子育てしていても,何ら引け目を感じない環境に身を置けたこと,そして公私共に支えてくれる家族に恵ま れたこと,それこそが私の研究生活の最大の幸運である.

今ではすっかり子育て中心の研究生活が板についてきた私だが,こんな私もかつては世界の食糧問題を解決するんだ,と青臭い夢を描いて農学部に飛び込んだものである.その頃に思い描いた自分と今の自分は全く違うが,実は気持ちはとても満ち足りている.アフター5はお母さんスイッチに切り替え,日夜研究に没頭というわけにはいかないが,日中は集中して仕事をし,家では子供とゆっくり過ごすというメリハリのある生活もなかなか良いものである.子供の成長は大きな喜びと幸せを与えてくれる.それと同じように,よい実験結果が出たとき,論文が採択されたとき,季節の移ろいを感じながら圃場で作業するとき,研究生活は沢山の喜びを与えてくれる.だから,少し欲張りかもしれないが,どんなかたちであれ,研究も続けていきたい.そして少なくとも,二人の娘の母親として,最も身近な女性の先輩として,彼女たちには誇れるような人生を歩んでいきたいと願っている.

研究も育児も家事も夫婦共同参画!
「みんなの支え」があってこそできる研究と子育て

2017/07/10
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構
次世代作物開発研究センター
稲研究領域 稲栽培生理ユニット
荒井(三王)裕見子

農研機構では,水稲の栽培生理の研究をしています.子供のころから植物好きで,大学時代に農業の素晴らしさにふれ,農学研究の道へ進みました.
経歴は,大学院博士課程→日本学術振興会 特別研究員PD(3年)→農研機構 契約研究員(1年)→任期付き研究員(3年)→研究員(現在)です.1人目妊娠中に就職活動,産休明けより「任期付き研究員」になりました.そして「研究員」2年目で2人目を出産(1年間の産休・育休),4年目で3人目を出産(半年の産休・育休)しました.1,3,8歳の子供がいる5人家族です.

子供の育児が始まり,日々の生活は大きく変わりました.ワーク・ライフ・バランスをとることの必要性は理解しているつもりでした.しかし,これまでの習慣を大きく変え,日々の生活リズムが取れるようになるまでは,試行錯誤や葛藤がいっぱいありました.育児や家事は夫婦で分担しているものの,夫は東京勤務のため,3人の子供の日々の送迎や育児,急な病気への対応,行事への参加は1人で行わなければなりません.子供たちの風邪等で,勤務時間や日数が限られ,不定期に休みを取ることも度々あります.そのため,仕事では時期の限られた研究や一連の実験を行いにくく,成果をまとめる時間が不足しがちです.そんな時,私は以下のような制度と周囲の協力により乗りきっています.

  1. 農研機構・研究センター・ユニット・プロジェクトに関わる皆さまの協力と理解
  2. 裁量勤務体制,代替職員(産前産後の期間や育児休業期間に研究業務を代替する任期付職員の雇用)や契約職員(予算配分)の配置,ユニット内の仕事の分担調整による直接的なサポート
  3. 家族内の育児と家事の分担,お互いの仕事の調整,相談

家族以外では,職場での理解が最も大事で,難しいところなのかもしれません.私の場合はその点で困ることは無く,本当に皆さんに助けられていると感じています.最近になって,限られた時間内で出来る最大限の仕事をする〈技〉が少しずつ身についてきたように感じます.仕事の〈技〉は人それぞれですが,仕事に優先順位をつけ取り組むべきことを整理する,人を頼る,とにかく楽しむ〈技〉が私は大切だと感じています.また日々サポートして下さる方に,直接恩返しは出来なくても,次の世代へのサポートを行うことで恩送り的なことが出来ればと思っています.

育児も仕事も充実していて,楽しめる環境に恵まれたことをとてもありがたく思っています.あっという間に1日が終わっていく毎日ですが,将来思い出した時に,あの時はキラキラした幸せな日々だったと思えるような気がします.もし不安があっても,勇気を出して一歩踏み出せばきっと何とかなります.誰かに支えてもらって前に進むのって,とても素晴らしいことだと思います.